HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.002 / アロハシャツの起源と歴史②

TEXT: サンサーフ企画総括・アロハシャツ研究家 中野喜啓 (YOSHIHIRO NAKANO)

ハワイを象徴するファッションへ

 

アロハシャツが発展した背景には、ハワイが観光地として確立したことが大きい。1927年、サンフランシスコ~ホノルル間に客船が就航すると、米国本土から多くの観光客がハワイに降り立った。戦時中は米軍の要衝としてにぎわい、戦後は航空路の発達もありさらに観光客が押し寄せた。土産物としてのアロハシャツの需要は一気に増え、やがて米国本土でハワイブームが起こるようになると地元のメーカーだけでなく、本土のスポーツウェアメーカーなどもこぞってアロハシャツを作るようになる。

 

ダイヤモンドヘッドやハイビスカス、レイ、ウクレレといったあらゆるハワイの自然や文化にヒントを得たモチーフが「トロピカル柄」としてデザインされた。一方ハワイならではのミックスカルチャーを象徴する和柄は、最初期のアロハシャツやオリエンタルブームが起こった1950年代に多く見られた。

 

絵柄の配置にも独創的なものが生み出された。パターンや柄には素材やプリント方法との相性、そして時代的な移り変わりがある。黎明期1930年代からの主流であった「オールオーバー・パターン」のモチーフも年月を重ねるごとに徐々にサイズが大きくなり、1940年代後期になるとより派手なデザインとして「ボーダー・パターン」の作品が多く生み出された。アロハシャツの最盛期1950年代には更に自己主張の強いデザインとして、シャツ自体が一枚の画のように見える「ホリゾンタル・パターン」が生まれ、米国本土では「バックパネル・パターン」や「ピクチャープリント」など、より強烈なインパクトのあるデザインが作られた。

 

DETAIL OF ALOHA SHIRT “DESIGN PATTERN” (アロハシャツの絵柄とデザインパターン)

 

 

(写真左)<アロハ>ブランド最初期のオリジナルデザインのひとつ、<キヒキヒ>の原画。現在スミソニアン博物館に収蔵されている。(写真右)エラリー・チャンの妹で<アロハ>ブランドのデザイナーだったエセル・チャンと彼女が手掛けたマロロー(トビウオ)のデザイン画。

 

 

忘れてはならないのが、今も変わらぬ輝きを持った個性的なアロハシャツの数々を創作したデザイナーの存在。エセル・チャンは兄エラリー・チャンのためにキング・スミス社の〈アロハ〉ブランド向けに原画を描いた。フランスの画家ポール・ゴーギャンの版画作品の一部をコラージュした《ゴーギャン・ウッドカット》を考案したジョン・メイグスも、画家としての自らの才能をアロハシャツに残したひとりだ。アロハシャツのみならずムームーやパケ・ムーなどのドレスにも使われるこれらの柄は、単なるシャツの図案という枠を超えて、ハワイとハワイの自然や文化を愛する者たちとをつなぐ絆になっているのかもしれない。

 

(写真左)「ゴーギャン・ウッド・カット」の第1作目のヴィンテージ。(写真右)1950年代に活躍したテキスタイルデザイナー、ジョン・メイグス。彼は最も影響を受けた画家、ゴーギャンの作品がモチーフの「ゴーギャン・ウッド・カット」をはじめ、数々の名作を生み出した。

 

 

HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.001 / アロハシャツの起源と歴史①

 

HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.002 / アロハシャツの起源と歴史②

 

HISTORY OF ALOHA SHIRT Vol.003 / アロハシャツの起源と歴史③